「現行刑事訴訟法の診断」その後—刑事実務家としての体験を踏まえて

一 はじめに

 刑事法の大家であり、名著「刑事訴訟法」(法律学全集)で弾劾的捜査観を打ち出してその後の刑事実務に対しても大きな影響を与えた平野龍一先生は、昭和六〇年に、「現行刑事訴訟の診断」という論文(1)を発表し(以下「平野論文」という)、現行刑事訴訟法が施行されてから約三五年を経た後の刑事訴訟実務を分析し、最後に、「わが国の刑事裁判はかなり絶望的である。」と結んで、その当時、あの平野先生がそこまで言うとはと、多くの人々に驚き、衝撃をもって受け止められたものであった。

 私は、当時、刑事訴訟法を学び始めたばかりの大学生であり、その後、司法試験に合格して検事に任官し、平野先生が絶望的と評価した刑事実務に携わるようになり、弁護士に転じた後も刑事実務には継続的に携わって現在に至っていて、実務経験は間もなく三〇年になろうとしている。そのような立場、経験も踏まえつつ、平野先生の指摘後、刑事訴訟実務の何が変わり、何が変わらなかったのか、変わり、また変わらなかった背景には何があるのかを概観し、今後の歩むべき方向性について私見を述べたい。

 (1)平野龍一「現行刑事訴訟の診断」(団藤重光博士古希祝賀論文集第四卷四〇七頁以下)

 

二 平野論文での指摘

 平野論文の論旨を私なりにまとめてみると、以下のようになる。

 欧米の裁判所は「有罪か無罪かを判断するところ」であるのに対し日本の裁判所は「有罪であることを確認するところ」である。それは、日本において起訴に当たり高度の嫌疑が要求され有罪率が極めて高いことに現れており、訴訟の実質は糾問的な捜査手続に移り検察官司法と言われるものになってしまっていて、大きな問題がある。取調べは、旧刑事訴訟法における予審制度の中で予審判事が持っていた権限が、予審廃止に伴い、刑事訴訟法の規定上は検察官に移譲されなかったものの運用としてはかなり移譲され、被疑者勾留、取調べで、糾問的な運用が行われている実態がある。

 そのような背景には、刑事訴訟において詳細で裏付けのある自白が要求されることがある。日本の公判は有罪か無罪かを判断するものではなく捜査の結果を確認するものであって、公判で被告人有罪の方向の証拠がつけ加わることはほとんど期待できず、だからこそ、自白は徹底した取調べに基づく、裏付けのあるものでなければならず、具体的かつ詳細な自白を得るため被疑者を手許(留置場)に置き簡単に呼び出せるようにしておく必要があると考えられている。自白は、心の通い合う状態での長時間の、時にはある程度厳しい追及も交えた取調べにより生み出されると考えられているが、対等ではない人間関係に基づき、相当性と不相当性の限界は曖昧で、虚偽自白も少なくない。そのような実態の背景には、厳しい追及を期待する一般人やマスメディア(但し自白の内容が客観的事実と食い違うと急に人権が問題とされる)があり、いわゆる代用監獄問題の改革は、取調べの方法の変更へとつながり、刑事司法改革へ向けての突破口になり得る。

 自白やその他の証言が、大部分、捜査官作成の調書として公判で取調べられるが、公判での取調べは形式的なものであり裁判官が自室や自宅で調書を読んで心証をとるのも大きな特徴である。書面を通じた事実認定が当然のこととして行われているので、控訴審、上告審での書面を通じた事実認定が行われることがあり、事実認定は直接に証人や被告人に接した者でなければできないはずであるといった考え方はされていない。

 このような訴訟から脱却する道は参審か陪審でも採用しない限りないかもしれず、現実はむしろ強化する方向に向かっているようにも思われ、わが国の刑事裁判はかなり絶望的である。

 

三 裁判員制度の導入とその影響

 平野先生が、最後に、このような訴訟から脱却する道は参審か陪審でも採用しない限りないかもしれないと述べた点については、平成一一年に内閣に設置された司法制度改革審議会による平成一三年の意見書で裁判員制度導入が提言された。その後、検討が重ねられた結果、平成一六年に裁判員の参加する刑事裁判に関する法律(いわゆる裁判員法)が国会において可決、成立し、改正や規則制定を経て、平成二一年五月二一日から裁判員法は施行され、死刑、無期懲役禁錮に当たる罪に関する事件や法定合議事件のうち故意の犯罪行為により被害者を死亡させた事件については原則として裁判員制度対象事件となり、裁判官三名に加えて裁判員六名の合議体(例外として公訴事実に争いがないなど一定の要件の下で裁判官一名と裁判員四名の合議体が形成されることもある)により審理、判決が行われるようになった(1)。

 裁判員制度の導入は、平野先生が問題視した刑事訴訟の在り方に大きな影響を及ぼしている。まず、裁判官であれば自室や自宅で調書等の記録を読み込んで心証をとることができても、一般国民で法律の専門家ではない裁判員がそのようなことを行うのは無理である。したがって、必然的に公判での立証から裁判員が心証をとることができるような立証が行われるべきということになる。裁判員裁判に先行して行われる公判前整理手続においては、提出される証拠が厳選され、わかりやすい審理が目指されることになる。刑事裁判官としての経験が豊富な杉田宗久氏が、裁判員裁判における審理について、「それまでの刑事裁判実務はー自戒を込めて言うならー、特に書証に関しては、裁判官・弁護人において取調べの必要性をほとんどチェックしていなかったため、手堅く手厚い立証を心掛ける検察官が請求してきた多量の証拠を、弁護人の同意さえあれば、裁判所もほとんどそのまま取り調べていたのであり、それゆえにこそ、法曹三者とも、公判廷で書証を朗読して取り調べる時間的余裕も、またその意欲もなく、結局のところ、裁判官が法廷外で読み込まざるを得ないという歪んだ実務慣行が長年にわたりまかり通ってきたのであった。つまるところ、証拠の厳選のポイントと言うべきは、書証の取調べの必要性チェックの厳密化であったわけであり、かつての実務における書証依存体質(これが精密司法の温床となっていたことは周知のとおり。)から脱却するためには、これは避けて通れない道であった。ことに裁判員裁判において、裁判員が情報過多に陥ることなく、公判廷で的確な心証形成を行い得るようにするためには、書証の厳選は不可欠な作業であったと言わねばならない。」と述べているのは(2)、現在の裁判員裁判に携わる法曹三者の共通認識と言えるであろう。公判において取調べられる書証は厳選され、争いがある事件においては証人尋問、被告人質問により裁判員を含む合議体は心証をとることになり、証人や被告人が捜査段階での証言を翻しても、特に裁判員は、公判での証言、供述によりその心証に大きな影響を及ぼされることになるから、かつてのように、刑事訴訟法三二一条に基づく伝聞例外として検察官調書が多用され有罪判決へと導いたり、自白調書の任意性や信用性がたやすく肯定されて有罪判決の基礎となるといったことが安易にはなされにくくなってくる。このような変化は、平野先生が参審制や陪審制に期待したものが、その期待通りの制度ではなかったにせよ、類似の制度導入により期待した方向へと結実したものと言えよう。 

 また、裁判員制度の導入を機に、取調べの可視化の流れも急速に強まってきている。

 平野先生も問題視していた密室での長時間にわたる取調べは、任意性に影響を及ぼす事例を多く生み、虚偽自白から様々な冤罪事件にも結びついてきていて、取調べの可視化(録音・録画制度)が導入されている諸外国の制度にならって日本でも取調べを可視化すべきという議論が徐々に高まってきた経緯がある。この問題は、法制審議会内に設置された新時代の刑事司法制度特別部会でも審議され、そこで取りまとめられた意見(4)に基づいて平成26年に法制審議会から法務大臣に答申されて、平成28年5月、刑事訴訟法等の一部を改正する法律案として第一八九回国会(常会)において可決、成立した中で、全面可視化には至らなかったものの、法定の制度として導入された(同年六月三日の公布日後、三年内の政令で定める日に施行するものとされている)。

 改正法で可視化の対象とされているのは、裁判員制度対象事件及び検察官独自捜査事件であり、身柄拘束中の被疑者を取調べるにあたっては、原則としてその取調べの全過程の録音・録画が義務付けられ、供述調書の任意性立証では録音・録画記録の証拠調べが必要とされている。対象事件では(特に裁判員裁判対象事件では)、任意性の判断が行いやすい利点が、今後、確実に生じるものと予想される。

 平成二八年の刑事訴訟法等改正では、証拠収集等への協力及び訴追に関する合意制度、刑事免責制度、通信傍受の合理化・効率化といった従来よりも捜査権限、手段が拡大されるなど注目すべき点が多いが、これについては、平野先生が憂慮していた糾問的な捜査が、取調べ可視化により弱体化することへの救済、対抗措置といった位置づけもできるかもしれない。

 このように、裁判員制度導入を一つの契機としつつ、日本の刑事訴訟は徐々に変化しつつあると言えよう。

(1)「池田修「解説裁判員法(第二版)」一頁以下

(2)杉田宗久「裁判員裁判の理論と実践(補訂版)」四一頁以下

(3)小坂井久「取調べ可視化論の展開」四四頁以下

(4)法務省ウェブサイト「新たな刑事司法制度の構築についての調査審議の結果(案)」

(5)法務省ウェブサイト「刑事訴訟法等の一部を改正する法律案(国会提出主要法案第一八九回国会(常会)

 

四 依然として変わっていないもの

 とは言え、裁判員制度対象事件は死刑、無期懲役禁錮に当たる罪に関する事件や法定合議事件のうち故意の犯罪行為により被害者を死亡させた事件であり、刑事事件全体の中ではごく一部に過ぎず、法改正により可視化が義務付けられた事件も、裁判員制度対象事件及び検察官独自捜査事件と、刑事事件全体の中ではごく一部に過ぎない。捜査機関の裁量により現在でも録音・録画の対象となっている事件もあるが、あくまで捜査機関の裁量に基づくものであって、取調べの可視化が一部の事件に義務付けられた後も、大部分の事件は可視化の対象にはならない状態が続く。

 平野先生が問題とした糾問的な捜査はどうであろうか。検察官が公訴提起する基準について、検察当局の公式見解を述べていると考えられる検察講義案(司法研修所検察教官室)では、最新版でも「検察の実務においては、的確な証拠に基づき有罪判決が得られる高度の見込みがある場合に限って起訴するという原則に厳格に従っている。」と述べ、この点について、「起訴の在り方に関し「検察官は、主観的に犯罪の嫌疑があると認めた場合には直ちに起訴することを原則とすべきである」との見解が一部にあるが、この見解は、検察官が起訴時において、「一応の犯罪の嫌疑が認められる」程度のおおまかな証拠判断に立ち、起訴後の証拠収集をも期待しつつ、公訴を提起するという在り方を一般化することになろう。これでは、犯罪の嫌疑が十分ではない者が多く起訴される結果となり、我が国の実情などに鑑みると、これらの起訴に伴う種々の人権侵害を生む弊害の危険性が余りに高く、国民の負託にこたえるものとは到底言えない。我が国においては、この見解は妥当でなく採り得ない。」と明確に述べている(1)。

 このような公訴提起基準の下においては、平野先生が問題とした糾問的な捜査は、依然として変化しようがない。身柄拘束を伴う事件は依然として多く、特にそういった事件では自白獲得を目指した長時間の被疑者取調べが行われ、被疑者や参考人から、事案によっては多数の供述調書がとられ、公判ではそれらが証拠調べ請求されるという運用に、今なお大きな変化はない(裁判員制度対象事件等の一部の例外を除いて)。

 長時間の取調べによる自白獲得を支えてきた代用監獄制度はどうであろうか。これも、平成18年に改正された刑事収容施設及び被収容者等の処遇に関する法律が平成19年に施行され、警察の留置場(従来は代用監獄と呼ばれてきたもの)が留置施設と位置付けられ、留置業務と犯罪捜査は分離され留置施設における被拘禁者の権利や取扱いにつき明確化され、従来の監獄法に比較すると大幅な改善が行われたものの、平野先生が問題としていた具体的かつ詳細な自白を得るため捜査機関が被疑者を手許(留置場)に置き簡単に呼び出せるようにしておく制度は、制度として恒久化された。

 精密司法と言われてきた裁判所の事実認定の在り方についてはどうか。これも今なお根強いものがある。この点については、平野先生の論文とほぼ同時期に、松尾浩也先生が、「さらに本質的な困難は、「精密司法」が、日本の法文化そのものの所産であり、単に検察なり警察のみが作り出した特質ではないことにある。被告人は「納得のゆく」取調べや公判審理を望み、また弁護人は、起訴時における精密な判断—無罪判決に至るような起訴は往々「誤起訴」と呼ばれるーを要求する。すべてが連動して、精密司法的性格を強める方向に作用しているのである。公判審理を充実させようとする裁判所の努力も、捜査と起訴とをいっそう緻密なものにする結果を招くことになりやすい。」(2)と述べているが、私もその見方には共感を覚えるものがある。一国の刑事司法制度は、その国の歴史、伝統や国民の考え方に大きく影響されざるを得ない。精密司法を支えてきた、松尾先生が指摘する日本の法文化は、一朝一夕に変化するものではなく、無理に変えようとすることは、かえって国民の反対を招く恐れもあろう。

(1)司法研修所検察教官室「検察講義案(平成二七年版)」六八頁

(2)松尾浩也刑事訴訟法の基礎理論(一九八七年)」(刑事訴訟の理論二五四頁)

 

五 日本の刑事司法制度が進むべき道

 私は、今が刑事司法改革の黎明期であり、今後、大きく改革すべき、その入口に立っていると考えている。松尾先生は、昭和六二年の時点で、今後の方向性について「われわれのとるべき方向は、個性的なものの強烈な束縛を十分に自覚した上で、いわば微調整の積み重ねという形をとって事態を改善することではないかと思われる。」と述べているが、微調整では済まない部分が出現しているものの、諸外国の刑事司法制度を最良のモデルとして崇め奉り、それと異なるから駄目であるといった過度にモデル化した議論ではなく、諸外国の刑事司法制度を大いに参考にしつつ、日本の国情に沿った刑事司法制度を構築することが必要であろう。

 私は、今のところ以下のように考えている。重大な、あるいは刑事責任追及の必要性が高い事件とそうではない事件(比較的軽微な事件)を分け、比較的軽微な事件については、大胆に捜査の省力化、裁判の簡易化、ダイバージョン(非犯罪化)を進める。現行では、捜査機関が限られた人的、物的資源を徒らに軽微事件にもとられているが、そこを大胆に切り分ける。それにより省力化された部分を、より重大、重要な事件へと振り向けていくことが必要だろう。

 また、裁判所の精密司法についても、事案によりメリハリをつける必要がある。簡易裁判所を、現状のように、交通事件以外では限定された犯罪への細々とした対応しか行わせないのではなく、組織や人員を大幅に拡充し、大都市や中堅都市においては、街頭での喧嘩等の現行犯逮捕案件のようなものには24時間体制で簡易公判手続、即決判決が宣告できるような制度も検討、実施すべきであろう。こういった比較的軽微な案件では、調書作成等の手間を省き、被疑者や目撃者を直ちに簡易裁判所へ出頭させて即決で結論が出るケースを大きく増やすことによって、大量、迅速に処理し、判決宣告までのプロセスにあたっては、必ずしも既存の刑罰にこだわらず、適宜、非犯罪化して行政的な措置に委ねるといったことも大胆に推し進める必要がある。例えば、諸外国で導入されている社会奉仕命令といった措置は、非犯罪化した際のペナルティとして検討の余地があろう。

 一方で、そういった措置に馴染まない、一定以上の重さの犯罪については、従来のような精密司法の手法で臨むもの(殺人、放火等の裁判員裁判の対象になるような重大事件、贈収賄事件などの社会的影響が大きい事件)は当然残ることになる。それらは、従来のような手法で基本的には臨まざるを得ないし、国民もそれを望んでいるだろう。

 ただ、そういった犯罪にあっても、平成二八年の刑事訴訟法等改正で導入されたような司法取引や刑事免責といった新たな捜査手法を積極的に活用して、より責任の重い、複数犯であれば上位者を追及するといったメリハリの効いた捜査を展開するべきであろう。

 また、身柄事件の在り方についても見直す必要がある。従来は、一定以上の重さの犯罪は、逮捕、勾留して丹念に捜査を行うことが当然とされてきたが、それは、身柄拘束の期限があるが故に捜査機関に多大な負担をかけてきた。従来、身柄にするのが当然と考えられてきたものについても、例えば覚せい剤の自己使用事件のようなものは、検挙後、尿から覚せい剤成分が検出されたという正式鑑定が出るまでは制限住居で生活し、鑑定結果が出た後に任意の出頭があれば迅速な取調べの上で、執行猶予事案であれば即決裁判といった制度もあって良い。GPS端末も積極的に活用して、逮捕後、従来であれば10日、20日と勾留されていたような被疑者でも、合理的な行動制限を課して在宅捜査の対象にするということもあってしかるべきであろう。そうした、無理をせず合理的な捜査が進められることで、誤り、過誤ができる限り排除されることにもつながる。

 現行では部分的にしか義務化されていない取調べ可視化であるが、今後は全面可視化を早期に実現し、違法・不当な取調べを防止するとともに、後日、取調べ経過が容易に振り返られるようにすべきだろう。従来、特に捜査段階でとかく軽視されがちであった弁護権も大幅に拡充し、捜査に対して弁護権を実質的にも対抗できる存在にすることで、真相解明や捜査側の誤認を防止する役割をより持たせる必要がある。ただ、捜査の密行性も真相解明上は重要であり、弁護人の対効力にも自ずと限界はある。私は、その点を改善する一つの方法は、部分的な予審制度の復活ではないかと考えている。旧刑事訴訟法上の予審制度は、廃止後の具体的なイメージをはっきりさせないまま廃止されたが(2)、捜査を司法化することで(裁判官が積極的に関与することで)真相解明と人権保障を両立させられる利点もあると思われる。現行の刑事訴訟法では、捜査段階における裁判官は、ごく一部の例外(付審判等)を除き令状審査という限定された場面でしか捜査に関わらないが、例えば贈収賄事件のような、捜査機関の暴走、迷走により真相解明や人権保障に重大な問題が生じかねないタイプの犯罪においては、一定の嫌疑があれば予審に付することとして捜査を司法化することも検討される余地がある。この点については、フランスの現行予審制度を踏まえつつ、「公判の活動が捜査活動に依存し、それが現在の訴訟体系上やむをえないことであるという点に同意できるならば、翻って、捜査の段階を事実認定にとっても重要な場と位置付け、そうした観点から統制する必要があるのではないか。捜査手続の準司法化は、むしろ現在において要請されているのである。」という意見もあり傾聴に値する(3)。

(1)松尾浩也刑事訴訟法の基礎理論(一九八七年)」(刑事訴訟の理論二五四頁)(2)平野龍一「現行刑事訴訟の診断」(団藤重光博士古希祝賀論文集第四卷四

  一〇頁以下)

(3)高内寿夫「公判審理から見た捜査」一七九頁以下

 

六 おわりに

 平野先生が絶望的とした日本の刑事司法にも、薄日が差し光明が見えつつあるというところであろうか。現状で大きな転換点に立っていると言えるが、付け焼き刃のような小手先の手直しでは全体として有機的な制度として機能しなくなる恐れがある。今こそ、あるべき姿、進むべき方向性をできるだけ明確化し、それに沿った改革を行うことが急務であろう。

 今後も活発な議論、検討が進められ、共通の認識として、あるべき姿、進むべき方向性が共有され、それに沿った積極的な改革が行われる必要がある。

                                     以上

 

 

憲法改正に関する最近のエントリー

憲法改正問題については、この政策ブログでも積極的に取り上げたいと考えています。

取り急ぎ、「日々是好日」ブログでの最近のエントリーを紹介しておきます。

blog.yoji-ochiai.jp

blog.yoji-ochiai.jp

blog.yoji-ochiai.jp

blog.yoji-ochiai.jp

blog.yoji-ochiai.jp

blog.yoji-ochiai.jp

blog.yoji-ochiai.jp

blog.yoji-ochiai.jp

blog.yoji-ochiai.jp

 

政策ブログ始めました

2004年から、はてなダイアリーで「日々是好日」というブログを始めて今に至るまで継続し、2017年からは、はてなブログで「広島の明日を考える会」ブログも立ち上げました。

思うところあって、この度、はてなブログで、この「政策ブログ」を立ち上げることにしました。ドメインも、

 

next-japan.info

 

を取得して、どこまでできるかわかりませんが、この場を通じ、明日の日本を目指して、自分なりの考え方、政策を整理、確立していきたいと考えています。

現在の日本は、戦後73年を経て、様々なところで、大きな曲がり角に立っていると思います。目先の政争に一喜一憂するのではなく、広い視野で、今後の日本が歩むべき道を、地道に考えるつもりです。

このブログもよろしくお願いします。